司馬遼太郎が歩いた中津(大分中津)

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司馬遼太郎の「燃えよ剣」

こんにちは!歴史大好き!映画大好き!のむねキングです。

2月の最初に映画館に「ジョジョラビット」を観に行きました。
子役がとってもキュートで笑えて、泣けて、悲しい映画でした。お勧めの一本ですよ!

さて、映画館の映画鑑賞の大事な儀式といえば「ノーモア映画泥棒」と近日公開予定の映画の予告を観ることですが、
司馬遼太郎原作の小説「燃えよ剣」が岡田准一くん主演で5月に映画公開されるようですね。

「燃えよ剣」の映画は情報はこちら

小説の「燃えよ剣」は高校生の頃読みまして、多摩に生まれ、バラガキ(イバラのようなガキ)とよばれた「土方歳三」が剣術道場仲間と京都にのぼり「新撰組」を結成し、闘い、そして友との決別があり終焉の地、函館の五稜郭までのドラマに胸を熱くしたものです。

歴史好きになったのもこの「燃えよ剣」と作家「司馬遼太郎」のおかげかもしれません。

そんな国民的歴史小説家の氏ですが中津に訪れたことがあるのはご存じでしょうか?

司馬遼太郎と司馬史観

作家「司馬遼太郎」といえば「梟の城」でデビューし「竜馬がいく」「坂の上の雲」「翔ぶが如く」など氏の作品の多くが映画や大河ドラマの原作となり、
氏の小説を読まなくてもその作品にふれる機会は多いと思います。

話は自分の高校生の頃に戻りますが、
高校の国語の女性教師(妙にピチピチした服装で思春期真っ盛りの多くの男子生徒を懊悩させた)が
「司馬遼太郎さんは小説を書き始める前に関連の本を小さなトラック一台分、取り寄せる」
と言うのを聞いてから氏の書く「小説」を「事実」と勘違いする結果を生じさせてしまうほど、氏の書く小説の時代考証の豊かさに魅了されました。

また氏の歴史観は自身の太平洋戦争の敗戦の経験から、日本はどこで間違ってしまったのかと問う「司馬史観」として知られています。

司馬遼太郎が歩るいた中津

そんな氏が全国を取材して「街道をゆく」という紀行文を連載していました。

その紀行文シリーズの中に「街道をゆく34大徳寺散歩・中津宇佐のみち」として今は朝日文芸文庫に収められています。
(やっと中津がでてきました)

まず氏は旅の出発を宇佐神宮、それから中津の「薦神社」を訪れてます。

そこで正面鳥居の付近に無造作に停められた軽トラをみて「やや神聖さを欠く」ともらしてます。

そして前回(ほんとうにあった〇〇な街道)で取り上げた三角池の堤防について書いています。

記事はこちら↓

三角池については前回も書きましたが少し補足します。

薦神社の三角池は小川をせき止めて造られた人工の池ですが小川をせきとめる堤防は版築(はんちく)という工法で造られていると司馬さんは書いてます。
版築というのはレンガなどが使われるようになる以前に中国で城壁を造るさいに用いられた工法で、
土を盛っては杵(きね)で突き固めて、
またその上に土を盛るという行為を繰りかけして(ミルフィーユを思い出してください)段々高くしていく工法です。

版築で築かれたものは土とあなどることなかれ1,000年はもちます。

ちなみに「きずく(築く)」という言葉は杵(きね)で突くから「きねづく」からきているようです。

そして、司馬さんは朝食を食べようとして中津駅前を歩きます。

定食屋がなかったのでチェーン店のドーナッツ屋さんに入り朝食をとり店を出たときにビルの上の福沢諭吉像を見上げ、
そこから、福沢諭吉先生のお父さん福沢百助さんのことを書いてます。

福沢先生のお父さんは大阪で中津藩のお米を現金化する仕事をしていたようです。

仕事柄、接待としてお酒を飲む機会が多かったようですが宴会は嫌いだったようです。
百助さんは福沢先生の生後まもなく亡くなってしまい、一家は大阪から中津に帰ってきます。

百助さんの残した蔵書は1500冊あり、身分の低い武士に生まれなけらば学者として活躍できただろうと、
後年、福沢先生は自伝で才能を活かすことができなかった父のことを書いてます。

以上、とりとめなく司馬遼太郎と中津のことを書きましたが、司馬さんは黒田官兵衛のことや山国川のことなど中津のことを書いてます。

「街道をゆく 中津・宇佐のみち」は文庫本で売ってますので興味のある方はぜひ読んでみてください。

歴史には諸説あり、今回ブログに載せたものとは違う解釈の仕方もあります。

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もっと歴史を知りたい!と思った方はこちらも読んでみてください!
むねキングさんの記事です↓

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この記事を書いた人

めざすは中津のインディージョーンズ!
歴史大好き野郎のむねキングです
邪馬台国は中津にあった説を提唱
「山国英彦山探検隊」の一員で英彦山のことを研究中

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